千葉県の茂原市本納に臥龍山両忘禅庵という禅寺(禅道場)がございます。
近隣のお茶の先生方に『両忘庵さん』と呼ばれ親しまれたお寺で、千葉のお茶会ではよくご住職様のお掛軸を拝見させていただく事もございます。過日、地元のお茶の先生より両忘禅庵・創立までの大変な沿革のお話を伺いあらためて知りました。千葉県にこの様な禅寺がある事を皆様にもお知らせしたくこのページを制作いたしました次第です。 崇高な理念、沿革をもつ両忘庵様がこれからも禅を広くお伝えされる様、祈念いたします。 本サイト制作・千翔堂ほり 保利雄三
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 臥龍山両忘禅庵
臥龍山 両忘禅庵 沿革

【 両忘会の創設 】
 両忘禅庵の創始は両忘会といいます。両忘会の発足は明治初年頃、山岡鉄舟勝海舟高橋泥舟鳥尾得庵、ほか十数名の居士が、鎌倉円覚寺・初代管長今北洪川老師を拝請して東京・湯島の麟祥院に於いて宗派によらぬ参禅会を結成、これを両忘会と名付け参禅活動を行なった事が始まりです。
 ※両忘とは 論語「能所両志 能見所見」より導いた言葉で、禅の思想「自と他、物と我、生と死、善と悪、苦と楽、前と後」などの両者の対立観念を忘れ、ひとつになる。「主客一如」に成りきると言う事。
 ※今北洪川 鎌倉・円覚寺の高僧(初代管長)。幕末・明治の禅僧で、雲水のみならず、一般大衆に対する禅指導に力を注ぎ、山岡鉄舟や鳥尾得庵ら明治期の著名人が参禅、弟子では、後に円覚寺管長となる釈宗演鈴木大拙が著名で共に渡米して禅の宣揚につとめました。

【 禅の布教「両忘会」と釈宗活老師 】
明治26年
 円覚寺管長今北洪川老師が還化したのち法嗣(あととり)であった釈宗演が円覚寺管長に就任、
今北洪川老師の志を引き継ぐ。
明治35年
  円覚寺管長・釈宗演は、禅を広める意を高弟・釈宗活に託します。宗活は、宗演より表徳号「両忘庵」を授かりその命により、東京谷中に草庵を結んで両忘会を継承します。
明治39年
 門下18名(後藤瑞巌佐々木指月など)と共に渡米、西海岸に4年間滞在し、初めて欧米に本格的な禅の布教をする。一行の中、佐々木指月が残留し、ニューヨークに支部道場(現在の北米第一禅堂)を開単する。
明治41年
 釈宗活が一時帰国したとき師の釈宗演は、達磨の絵を書いて贈ります。(いまも千葉の両忘庵に伝えられています)アメリ力に根を下ろしたのでしたが、目的を達することはできず宗活は4年目に帰国しました。
大正14年
 東京谷中の両忘庵を本部会堂に、九州、中国、東海、東北、北海道、朝鮮、満州、米国に支部道場を設け、財団法人両忘協会の認可を得、衆望により釈宗活老師が総裁に就任する。
昭和10年
 宗教法人・両忘禅協会と改称し、千葉県市川市国分新山(現在の国府台)に本部道場を建設する。
入門会員約3千人、坐禅会員約3万人、在家禅会の草分けとして教線を拡大した。
昭和16〜昭和20 
 ※第二次世界大戦・会戦期
昭和22年
 釈宗活老師、戦後の混乱期にて両忘禅協会を一時解散
昭和29年
 釈宗活老師、千葉県八日市場市の地に於いて遷化

【 両忘禅庵の建立 大木琢堂 】
 戦前より円覚寺の釈宗活老師に参禅し、その活動を援助した人が両忘庵2世庵主の三昧庵・大木琢堂です。
薬師寺の資格をもつ琢堂老師は千葉県八日市場で薬局を営み、師・釈宗活の活動を経済的に援助しながら在家として修道を重ねます。
昭和29年
 釈宗活 遷化
同年
 大木琢堂は、釈宗活が遷化すると同じ宗活老師の弟子であった後藤瑞巌(大徳寺9代管長)に師事・得度し、宗活の意を継ぎ、禅道場建設を発願、建設基金のため托鉢にて全国行脚を始めます。そのとき薬局の経営は長男に託し、二男・大木宗玄は京都・妙心寺にて、三男・大木宗完は鎌倉・円覚寺に参禅させます
昭和30年
 大木琢堂、宗活老師終焉の地である八日市場市椿(現・匝瑳市椿)に宗教法人両忘禅協会を再興し、第二世総裁となる
昭和49年
 茂原市本納に座禅道場を「両忘会」を設立。その後、青少年研修道場、開山堂、本堂、庫裏を建立
昭和63年
 宗教法人両忘禅協会を八日市場市より茂原市本納の現在地に移転し、記念式典を行ないます。式典には三笠宮親王がご臨席され、裏千家15代家元・鵬雲斎玄室による供茶式が執り行われました。
平成2年
 琢堂老師の三男・大木宗完が、渡米しアメリカ各地で禅の普及活動を行いワシントン州バンクーバーにアメリ力法人「両忘庵USA」を設立。初代両忘庵・釈宗活老師がアメリカに渡り達せなかった思いを果たします。
平成9年
 両忘庵2世・大木琢堂 遷化
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【 近年の両忘禅庵 】
昭和30年
 大木琢堂老師が宗活老師の遺命に従い宗活老師終焉の地である八日市場市椿(現・匝瑳市椿)を本部とし、宗教法人両忘禅協会を再興し第二世総裁となる
昭和41年
 道場建設を発願。建設基金托鉢のため全国行脚始まる。
昭和45年
 千葉県茂原市本納に道場用地を取得し、禅堂を開単する。
昭和49年
 財団法人両忘会を設立する。
昭和53年
 青少年研修道場(一階武道場、二階坐禅堂)落成する。
昭和58年
 宗活老師開山堂 (元・皇居紅葉山下・近衛兵詰所)
  本堂 (元・鎌倉市山階宮家・持仏堂)
  庫裏 (元・天童市民家)
の諸堂を移築・建立して、臥龍山両忘禅庵となし、琢堂老師の法嗣として大木宗玄老師が住持普山する。
昭和63年
 宗教法人両忘禅協会本部を八日市場市より茂原市本納の現在地に移転し式典を行なう。
 式典には三笠宮親王ご臨席、裏千家15代鵬雲斎玄室による供茶式が執り行われた。
平成2年
 アメリカ合衆国ワシントン州に両忘禅庵USAを設立
平成9年
 3月 三昧菴・琢堂老師 遷化
 5月 琢堂老師を鑑上開山禅師としてコロンビアゴージ禅センターを開単 大木宗完 入山
平成21年
 三世両忘庵主・宗玄師遷化
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【 両忘庵の建物 】
【 舎利殿 】(旧・開山堂)
 昭和58年皇居内紅葉山下より近衛兵詰所を拝領・移築された(これは2代琢堂老師が数十年にわたり昭和天皇に境内の「土筆」を献上していた事がご縁と言われています)
舎利殿には、開山の師である釈宗活老師が鎌倉円覚寺・舎利殿より分骨された舎利(お釈迦様のご遺骨)と宗活老師が祀られています。
平成22年に仏舎利奉安法要が行なわれ開山堂より舎利殿と改名、裏千家15代家元・鵬雲斎大宗匠より『舎利殿』の扁額が寄贈されました。

舎利殿

舎利殿扁額

舎利殿内(茶会時

【 本堂 】
 明治の皇族・山階宮家の別邸(持仏堂)が神奈川県鎌倉市より移築されたものです。山階宮3代・武彦王と妻・佐紀子女王が祀られております。
また、NHK大河ドラマにて使用された利休像(大徳寺金毛閣上複製)が依頼を受け安置されております。

本堂を望む
本堂内(茶会時

【 茶室 】
 茶会などが執り行われました
【 坐禅堂 】
 参禅の啓発を旨に日曜座禅会や講話会、青少年研修活動などが行なわれています。
 座禅会などの情報は両忘禅庵公式Webサイトにてご確認ください
【 庫裏 】
 ご住職の住居です。

【 その他画像 】
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両忘禅庵 歴代住職

開山 釈宗活 庵号・両忘庵
円覚寺五代管長
昭和29年遷化
二世住職 大木琢堂 庵号・三昧庵
号・玄珠
平成9年遷化
三世住職 大木宗玄 号・拙翁 平成21年遷化
四世住職 大木宗完
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 臥龍山 両忘禅庵
 臨済宗系単立宗教法人 両忘禅協会
 住所 千葉県茂原市本納583番地  TEL 0475(34)2355
 両忘庵公式Webサイト http://ryoboan.tyanoyu.net/index.html
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参考資料、情報提供など
 ・両忘禅庵 Webサイト
 ・入江孝一郎氏 Webサイト
 ・裏千家茶道教授 中村宗幸先生 ・裏千家茶道教授 小倉宗光先生
 ・淡交社 淡交別冊「近代の禅僧」
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